我が家のハラン移植  

(2017年8月10日)


 昨年6月に木更津の証城寺を訪ねました。小櫃にある味楽囲(みらい)という野菜販売場には時々出かけます。この日は木更津にも味楽囲があることを知って、木更津まで足をのばしました。ついでに木更津の観光地としては有名な証城寺も一度見ておこうと思い車のナビまかせで寄ってみたのです。

 証城寺の寺は古いものの、よく整備されていました。そして私の目に印象に残ったのは狸の置物ではなく庭のハランです。緑の葉が元気よく庭のあちこちに植えられていたのです。


証城寺のハラン

 我が家の小さな庭の一角にもハランが植えてありました。10年ぐらい前に同じ町内にあった妻の実家から一株貰ってきて植えてあったものです。かなり増えてはいたのですが、茶色に枯れた葉も混ざっていて、証城寺のハランとはあまりにも違います。少しも手入れをしなかったのですから仕方がありません。


我が家のハラン(1)

 30年前に我が家を建てた当初は庭を芝で埋め尽くすつことにしました。芝を植えた当初の1年は青々とした庭になったのですが翌年には雑草が増えました。草取りに時間を割くこともできず雑草との戦いは完敗でした。

 証城寺の庭を見たとき我が家の庭もハランで埋め尽くすこと思い付きました。芝の仇をハランで討とうと。ネットで調べてみるとハランは日陰でも育ち、強いとあります。強いとあるにしてはハランの増え方は遠慮がちです。根の伸ばし方が遅いようです。

 スコップでハラン20本ぐらいをまとめて移植することにしました。上の写真我が家のハラン(1)は一列残して半分切り取った後です。ハランの根は全部が一体に絡み合っています。

 
我が家のハラン(2)

 スコップで20本程度ずつ根っこを切り取ってあちこちに植えたハランが我が家のハラン(2)です。1年近くたってどうやら根付いてくれたようです。10本程度では枯れてしまったものもあります。

 ハランの移植をやっていたとき、近くを歩いていた知らない人が良いハランですねと褒めてくれました。近くで見れば良いハランとは言えないのだがと思いながら聞いていると、お寿司屋さんがハランを欲しがっているよ、とのことでした。花屋でハランの葉が1枚100円で売られていることを知っていましたが、売り物になるのは葉っぱの先まで少しも枯れていない葉です。

 移植したハランは枯れはしないもののなかなか増えてくれません。半年ほど経ってようやく周囲に小さい葉が少しずつ伸びてきました。これを見た時、なんとなく嬉しくなったことを思い出します。

 私は若いころに考えていたことで年を取ってから間違いだったなと気づいたことがいくつかあります。そのうちの一つが農業です。ハランの新しい葉を見て気が付きました。

 「農奴」とか「水飲み百姓」という言葉が頭に入っていたからでしょうか。農業をやる人は奴隷のように力仕事をしなければならないとか、時に空腹を逃れるために水を飲むしかできないような貧乏生活であるとのイメージがありました。

 自分が汗を流して植えた植物が育ってくれるのを見る喜びは誰でも経験できます。農業は楽しい仕事に違いありません。少なくとも現代の農業は苦役ではないでしょう。田んぼの畑に毎年米が実るのを見ていながら、また立派な家屋を持つ農家もあることを知りながら、このことに気が付きませんでした。

 
我が家のハラン(3)

(了)


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